欧州のサッカークラブNo1を決めるUEFAチャンピオンズリーグ(CL)は、決勝トーナメント1回戦が各地で行われています。16クラブがホーム&アウェーで2、3月に計2戦を行い、その総合勝者が8強に進みます。
2月の注目試合の一つが、日本時間21日のアトレチコ・マドリード(スペイン)vsユベントス(イタリア)。アトレチコのグリーズマン選手、ユベントスのロナウド選手という世界屈指の名ストライカー対決となるからです。
昨年のロシアW杯で優勝したフランス代表の攻撃の要でもあるグリーズマン選手。しかし幼少期には苦労も多かったようです。その生い立ちやスターへ至る道程を振り返りました。
グリーズマンの幼少期・生い立ち
アントワーヌ・グリーズマン選手は1991年フランス中部生まれの27歳。父はドイツ系、母はポルトガル系のフランス人で、比較的裕福な家庭に生まれ育ちました。
母方の祖父がポルトガルの元プロサッカー選手だった影響もあって、幼少期から大変なサッカー好きで、地元に近いリヨンのサポーターに。そしてリヨンのアカデミーに入ることを夢見ていました。
ただグリーズマン選手は今でも身長175cmと世界トップFWとしては小柄。幼少期から他の子より小さくて体も細く、入団テストを何度も落とされ、何と9つのクラブから門前払いされたそうです。
ようやく地元のユースチームでプレーできるようになった13歳のころ、小さいながらも俊敏な動きと正確なキック力に光を見いだしたのが、隣国スペインのレアル・ソシエダのスカウトでした。
グリーズマン選手をトライアルに参加させ才能を確証すると、ユース契約。昼間はフランスの学校に通い、夕方にはスペインで練習する毎日だったそうです。
ユースで着実に実力を伸ばしたグリーズマン選手は、18歳のときついにレアル・ソシエダのトップチームでデビュー。4試合で5得点を決めるなど活躍し、そのままレギュラーに定着。憧れのプロ選手としての歩みを始めました。
グリーズマンがスターになれた理由
グリーズマン選手の無駄のないテクニックとゴールセンスは瞬く間にビッグクラブの目に留まり、2014年にはアトレチコ・マドリードに移籍。以後は15-16シーズンのCL準優勝、17-18シーズンの欧州リーグ優勝などチームの栄光に貢献し、スターへの階段を一気に駆け上がりました。
メディアによれば、グリーズマン選手は得点力が図抜けており、裏へ抜け出すこともボレーやヘディングからゴールすることも得意。パスもクロスもうまく、左利きですが右足でも正確にシュートを打ちます。
単に優れたFWというだけでなく、チームの一員としての守備力があるのも強み。彼をスターダムに押し上げたそうしたプレースタイルは、スペインのクラブでウルグアイ人の指導者やチームメイトから薫陶を受けたことが大きかったといいます。
グリーズマン選手自身、ウルグアイのプレースタイルとスピリットを絶賛。「安定したバックラインと素晴らしい攻撃陣。あきらめることなく、ペナルティエリアに入ると1度や2度のチャンスでしっかりとシュートを決める」と自らのプレーにも影響を与えたと話します。
アトレチコのチームメイトであるウルグアイ代表のゴディン、ヒメネス選手らとは大親友で、ゴディン選手は自分の娘の名付け親にも。ウルグアイ文化を愛し、同国のマテ茶も好物だそうです。
そんな「ウルグアイ愛」だけに、2つの個人賞に輝く活躍ぶりだった昨年のW杯では、準々決勝のフランスvsウルグアイ戦が複雑な思いだったとグリーズマン選手。自身のゴールで勝利したものの「ウルグアイにはたくさんの友人がいるから」と終始ニコリともしませんでした。
グリーズマンのネットの評価
出典:twitter
まとめ
フランスなど欧州のトップユースでプレーする少年たちには早熟な子も多く、あまりに体格差があるとサッカーではケガの危険が大きいといわれます。
いくら技術に優れていても潰されてしまう恐れがあり、「何もしないうちに自信を失うだけで可哀想」との〝思いやり〟からグリーズマン少年も門前払いされたのかもしれません。
ただ似た境遇のスター選手は結構多いそうで、ダイヤの原石を見逃さなかったスペインのスカウトこそさすがとしか言いようがありません。
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