30年続いた平成時代最後の日となる4月30日。全国各地で平成を惜しむイベントなどが開かれますが、プロ野球界でも粋な企画が発表されました。
この日甲子園で開催される阪神vs広島戦で、平成の阪神黄金期に活躍した元エース・井川慶さんが始球式を行います。しかも捕手役は当時バッテリーを組んでいた矢野監督という、虎ファン垂涎の催し。
日米球界で活躍した井川慶さんですが、ここ数年はすっかり音沙汰なし。現役後半は成績も振るいませんでしたが「何故ダメになった?」と言われているのでしょうか。
井川慶は何故ダメになった?
茨城県生まれで39歳の井川慶さん。高校時代から投手として頭角を現し、97年ドラフトでは「高校左腕三羽烏」と注目され2位指名で阪神へ入団しました。
阪神では左腕エースとして先発の柱となり、最多勝、最優秀防御率などのタイトルを獲得。在籍8年間で2度のリーグ優勝に貢献しました。この〝平成の絶頂期〟の矢野捕手(現阪神監督)とのバッテリーが、30日の始球式で再現されるわけです。
井川さんはその後、かねて希望だったMLBヤンキースに移籍しますが、まったく成績が振るわず、メジャーでの登板はわずか16試合2勝にとどまります。
マイナー暮らしを経て12年にオリックスでNPB復帰しますが、結局3シーズンで計7勝止まり。その後独立リーグに在籍するなど野球を続け、これまで明確に表明はしていませんが、現在は事実上現役引退状態のようです。
20代前半にはあれほど活躍した井川慶さんは「何故ダメになった」のか。野球解説者やファンなどの間ではさまざまな説が上がっています。
威力ある直球と鋭く落ちるチェンジアップが武器だった井川慶さん。ただ元々「制球力に難がある」と言われており、阪神時代の後半から徐々にコントロールが悪化。変化球、特に決め球チェンジアップのキレがなくなり、ストライクが入りにくくなったとされます。
その理由として、NPBやMLBに対応するため下半身を大きくし過ぎた結果、腕の振りが悪くなったり、フォームのバランスが崩れたことが一因とも。球質も悪くなり、簡単に打者がバットの芯に当てられるようになったとも言われます。
平成最後の日4/30(火・休)の対広島戦の試合前、平成のタイガースを代表する投手としてOBの井川慶氏にファーストピッチにご登場いただきます。
URL:https://t.co/Osodl1c06w#阪神タイガース #平成最後 #井川慶さん pic.twitter.com/A817F7KnGd— 阪神タイガース (@TigersDreamlink) April 27, 2019
井川慶の印象的なエピソード
華々しいエース時代から、現役後半では低迷が続き「何故ダメになった?」と今でもファンの間では話題がつきない井川慶さん。
しかし野球を離れたその素顔は非常にユニークで、「多趣味」「マイペース」なそうした一面も、ファンを惹きつけてやまない魅力なのかもしれません。
井川さんの野球以外の印象的なエピソードをいくつか挙げでみましょう。
・実は大のサッカーファンで、家にはサッカー関連ビデオが1000本。野球を始めたきっかけは、中学にサッカー部がないため仕方なくだったとも。
・オフシーズンは自主トレの一環として茨城県内のオリエンテーリング大会に参加。
・新幹線移動では球団が用意する「のぞみグリーン席」を「ひかり自由席」に変更し差額を貯金。「月に1万円しか使わない」説も。
・もの凄いゲーマーで、セガ主催の関東ブロックエリア大会を勝ち抜き全国大会に進出したことも。
・将棋もプロ級の腕前で、日本将棋連盟から将棋親善大使を委嘱。ブルペンでは詰め将棋をしてからマウンドへ向かっていた。
・アニメも大好きで、アニメ番組を見るために球団の忘年会をすっぽかした。
大脱出だと思い込んで見た映画がゼログラビティだった。まあまあおもろかったしよしとするか、、
— 井川 慶 (@ahagon1986) 2014年1月25日
始球式バッテリーに感動の声
出典:twitter
まとめ
ファンサイトで語られる井川さんのエピソードは、前述のもの以外にも〝爆笑ネタ〟ばかりです。例えば、
・色紙に四字熟語を書いて欲しいと言われ「漁夫の利」と書いた
・ヤフオクに出ていた偽サインボールを自分で発見し通報
・ドラクエ8はレベル99まで上げ、スクエニ宣伝部が驚きの公式コメント
・ヤンキースで”あっち向いてホイ”を大流行させた
プロの名投手の中には、趣味とどっちが本業か分からない(笑)山本昌さん、一時「吉本」にも入った石井一久・現楽天GMなど「我が道を行く」方が目立つ印象です。マウンドでは常に孤高の存在だけに、そんな性格の方がしっくりくるのでしょうか…。
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