フィギュアスケートの四大陸選手権2019の男女シングルで、宇野昌磨選手と紀平梨花選手が見事アベック優勝を果たしました。二人とも、ショートで出遅れながらもフリーで大逆転して頂点に。3月の世界選手権に向け大きな弾みとなりました。
特に試合直前ケガをしながら、でき得る最高の演技をこなした紀平梨花選手の精神力や冷静さが光りました。この成長を支えた紀平選手の母親の教えや育て方を探りました。
紀平梨花の母親はどんな人?
紀平梨花選手は大会直前の練習で転倒して左手薬指を亜脱臼。痛さが演技にも影響し、一時は棄権やジャンプの難度を下げるなどの弱気もよぎったそうです。
実際、ショートでは武器とする冒頭のトリプルアクセルが抜けてシングルに。ジャンプ一つ分が0点になる大失敗で5位発進となってしまいました。
しかしフリーでは奮起し、もう一度トリプルアクセルに挑み完璧に成功。ただ、通常2回跳ぶ所をあえてこの1回だけに減らし、全体の完成度をアップ。結果的に高得点につなげ、逆転優勝しました。
紀平選手はフリーの前、ケガで練習が不足しリンクに慣れてない中で「できることをやり尽くそう。無理せず安全にいい成績を」と考えたそうです。16歳ながらこの冷静な判断と強いメンタルの陰には、母親・実香さんの言葉があったといいます。
昨年7月、初めて臨むシニアのシーズン前。GP・NHK杯出場選手の残り1枠を決める選考会が開かれ、憧れの同杯切符をかけて紀平梨花選手も挑みました。
ところが朝練習で跳んだのは低難度のジャンプだけ。母親は「普段の試合前は3回転を何本も跳ぶのに、おかしい」と気の緩みを察し、練習後の車中で繰り返し「そんなんじゃ絶対に落ちる!」と厳しい言葉を浴びせたそうです。
紀平選手は北京五輪金メダルを目指すため、ショートからトリプルアクセルを組み込めるシニア昇格を、昨年計画して決断していました。
いつもは優しく、怒るのは年に1回程度という母親の「ここぞ!」のカミナリで、自分の甘さを痛感し、涙で謝った紀平梨花選手。「そこからジュニアモードが消え、意識が変わった」(実香さん)。以降は国際大会負けなしという怒濤の強さで躍進しました。
紀平梨花の母親の育て方とは?
世界中で試合を転々とする紀平梨花選手の傍には、常に母親・実香さんが付き添っているそうです。そもそも3歳のときに姉と一緒にスケートリンクに連れていったのも実香さんでした。
実香さんは娘の栄養管理に心を砕き、早朝から夜遅くまで、練習リンクへの車での送迎も毎日欠かさないといいます。それはひとえに、紀平梨花選手が競技に集中し、車中で体を休められるようにという親心。そのために、自らの仕事も時間に自由がきくパートに変えたといいます。
実香さんは、紀平選手が2歳になる前から「ヨコミネ式教育法」の幼稚園に通わせます。これは女子ゴルファー横峯さくら選手の伯父が主宰する、運動・音楽などに特化して子どもの可能性を引き出す教育です。
紀平梨花選手は卒園までに逆立ち歩きができ、跳び箱8段を跳べるまでに。同時に母親・実香さんはダンスやピアノなど多彩な習い事もさせ、それが現在の類いまれな運動神経や柔軟性、音感などを育んだようです。
紀平梨花と母親に関するネットの反応
出典:https://headlines.yahoo.co.jp/cm/main?d=20190209-00476792-nksports-spo&s=lost_points&o=desc&t=t&p=1
まとめ
紀平選手の逆転優勝の〝立役者〟は母親・実香さんと共に、幼い頃から師事する濱田コーチでもありました。フリー演技の前、コーチは大技に挑むか悩む紀平選手に童話「オズの魔法使い」の話をしたそうです。
物語では臆病なライオンが勇気を求めて旅に出て、主人公を助け「勇気の薬」を手にします。その話通り、勇気を出して大技を成功させた紀平選手に演技後、濱田コーチは「ライオンになれたね」と一言。また一歩紀平選手が成長した瞬間でした。
■関連記事