6月開幕のコパアメリカに招待参加する日本代表に、17歳の久保建英選手(FC東京)が初選出されました。
将来の世界での活躍が嘱望される久保建英選手。わずか17歳で日本代表に選ばれたその凄さとは?久保選手の生い立ちや両親の育て方に迫りました。
久保建英の生い立ちまとめ
生い立ちを振り返ると、久保建英選手は2001年、川崎市で父・建史さんと母の長男として誕生。建史さんは筑波大サッカー部OBでもあり、建英選手は幼い頃からサッカーに親しんできました。
両親ともに「運動が好きで物事に積極的な子に育てたい」と、好きなサッカーを通じて成長する子育てに取り組んだそうです。
早くも2歳で父と1対1の試合をし、1年350日公園でボールを蹴る日々。3歳で父がコーチを務める地元サッカークラブに入ります。
その後はメキメキ才能を発揮し、小3で川崎フロンターレ下部組織入り。9歳でバルセロナ下部組織「カンテラ」入団テストに合格。
FIFAの規定で18歳未満では国際移籍できないため、やむなく15年に帰国してFC東京の下部組織に入り、飛び級で活躍し15歳で史上最年少のJリーグ選手に。現在はFC東京に所属しています。
【写真特集】U-19代表に飛び級招集の中学生FW久保建英「どんどんチャレンジしていきたい」(8枚) https://t.co/oPBYXrrOll #gekisaka #daihyo pic.twitter.com/A6NNAfNnIR
— ゲキサカ (@gekisaka) December 1, 2016
育て方に工夫はあったのか?
久保建英選手の父・建史さんは、息子がカンテラに入った後、子育て論「おれ、バルサに入る!」(文芸春秋)を上梓。
それによると実に多くのユニークな育て方が工夫され、両親の温かい愛で建英選手が成長していったことが分かります。
ごく一部を紹介すると、例えば久保建英選手は赤ちゃんの頃から、
・外遊びの時は裸足
・ベビーカーは使わない
これについて建史さんは「足裏は健康のバロメーターでもあり、足の感覚を養うには裸足が役に立った」といいます。
さらに
・友達の家に一人でお泊まりさせる
・2歳で自主保育グループに通う
これは、常に知らない人たちや年上の子、大人たちに自分の意思を伝えることを経験でき、自主性を育てるため。
家では
・TVはつけず、絵本の読み聞かせは週20冊以上
建史さんは「分からない時は止まって考え、考えて話す習慣をつけてほしい。本はこれに役立ち、ひいてはサッカーで練習目的やプレー選択を理解する力が磨かれた」といいます。
サッカーでは
・まずドリブルをしっかり練習
・「取りあえず蹴っとけ」シュートは禁止
「18歳でプロになるために何を身につけるべきか考えた」と建史さん。映像・教材などから指導法を学び、親子でドリル形式の練習をしてボールを「運ぶこと」「止めること」を訓練。
嫌になる練習ではなく、昨日よりも今日少しでもうまくなっている点を見つけてはほめ、父子が互いに楽しくサッカーすることに留意したといいます。
久保建英のすごさ
両親の熱心な育て方で成長した久保建英選手。これまでの選手の生い立ちには随所に凄さが見られます。
まず6歳で「バルサに入りたい」と言い出し、両親も全力で後押し。原則13歳から入団できる規則ながら、バルサ側はその卓越した技術と精神力を見込み、弱冠9歳で契約します。
カンテラでは地中海カップU-12トーナメントで大会得点王とMVPに。リーグ、カタルーニャ杯などの制覇にも貢献します。
帰国後は中3でFC東京U-18に飛び級昇格。日本クラブユースサッカー選手権では大会史上初の中学生での得点王になるなど、数々の最年少記録を更新中。
「和製メッシ」の愛称もある久保選手。18歳となる今年6月4日以降、トッププロの世界での本格スタートを切ります。
久保建英の今後に関するネットの反応・評価
出典:twitter
まとめ
いよいよA代表での世界デビューが迫ってきた〝日本の原石〟久保建選手。まもなく、FIFAの「少年の国際移籍禁止」の規定対象外となる18歳を迎えるため、「今夏にもバルサB(2軍)に復帰する」という報道や観測が消えません。
J1としては引き留めに必死でしょうが、久保選手の将来を考えると例え2軍といえども世界最高峰のクラブにいるのがベストな選択。
欧州名門クラブの下部組織は「世界のショーケース」ともいわれ、常に移籍市場の目が集まる場所。Jサポーターとしては心残りかもしれませんが、サッカー界の逸材を大きく育てるためにも、久保選手にとっては「飛躍の一歩」を踏み出してほしいと思います。
■関連記事