お札の肖像画5000円札に選ばれた津田梅子さん。
選ばれた理由は何でしょうか?何した人なのでしょうか?
肖像画に選ばれるくらいすごい人なのか、調べてみました。
津田梅子が5000円札に選ばれた理由は?
津田梅子さんが5000円札に選ばれた理由は何でしょうか。
津田梅子さんは日本の女子高等教育の草分け的な存在です。
明治33年に女子英学塾(現剤の津田塾大)を創設しました。
生涯にわたり、女子教育に尽力された功績が評価されたのですね。
津田梅子がお札になるなんて
思いもしなかったなーー。
津田梅子ぐらい皆知ってるよね? pic.twitter.com/TdVsNhqyUW
— イヌウサギ 脱スネ夫 (@inu_usagi_com) April 12, 2019
津田梅子は何した人?わかりやすく言うと
津田梅子さん何した人でしょうか?
わずか6歳で、岩倉遣欧使節とともにアメリカへ留学しました。
17歳の時に帰国命令がでましたが、延長して勉強を続けました。
その後帰国しますが、再度24歳の時に留学しました。
そして、この留学で自分がすべきことを見つけ、女子教育を広めることに決めたのです.
35歳のときに、「女子英学塾」を設立し、「身分にとらわれない女子教育」を実現すべく邁進していきます。
少人数教育、教師の資格と熱意、学生の研究心を重視し、英語教育とキリスト教による人格教育を実践していきます。
1905年には、キリスト教女子青年会の初代会長にもなっています。
津田梅子で思い出した屏風絵、守谷多々志「アメリカ留学」。彼方にうっすら見えるサンフランシスコをデッキから身を乗り出し見つめる岩倉使節女学生達、履物脱いで柵に登ってるチビちゃんが梅子。私、アメリカ帰国後、美学美術史学生の時に新聞で見て興奮して生まれて初めて新聞社に問合わせ電話したw pic.twitter.com/N0N9cMs5Bl
— 池田有希子 yukiko ikeda (@iYukiko) April 11, 2019
津田梅子5000円札にネットの反応は?
まとめ
津田梅子さんが肖像画に選ばれた理由は何をした人か調べてみました。わずか、6歳でアメリカへ留学し、明治の時代に女子教育をと学校を作ったのは、今の時代と比べても相当な苦労をされたと思います。それでも、生涯をかけて女子教育に力をいれた功績はすごいものであり、肖像画に選ばれたのも納得ですね。