初戦で競合イタリアを破ったワールドカップバレー男子日本代表の過去成績のうち最高の成績は何位だったのでしょうか?
過去の実績を調べ、現在と比較して。それを超えるためのポイントを挙げてみました、
=目次=
ワールドカップバレー男子日本代表の過去成績は?
ワールドカップバレー男子日本代表の過去成績をオリンピックでの成績とともに、まとめました。
1964年前回の東オリンピックで東洋の魔女と称された女子が金メダルを獲得したと同時に男子は銅メダルを獲得し、それ以降1970年代まで、ワールドカップ2位、ミュンヘンオリンピックで、金メダルを取るなど、全盛期が続きました。
ところが、1980年代以降、ワールドカップで10位やオリンピック最終予選敗退で出場できないなど、長い低迷の時期が続き、いまだに完全に脱しきれたとは言えません。
男子バレー日本代表は過去最高を超えられるか?
ワールドカップバレー過去最高は1969年と1977年の2位ですので、優勝して初めて過去最高を超えられるといえます。
では、そのためのポイントはなんでしようか?
1960年、1970年代の全盛時代を振り返ってみましょう。
松平康隆監督の存在
1961年6人制バレーを学ぶためにソ連に留学した後、コーチを経て、1965年に日本代表の監督に就任しました。
その指導力でチームを引っ張るとともに、回転レシーブや時間差攻撃など、日本独自の技を自ら開発しました。
有能な選手の輩出
猫田勝敏 世界1のセッターと称され、金、銀、銅メダルを取ったオリンピックに出場して活躍、「日本のコンピュータ猫田」ともいわれる正確なトスと、奇策「天井サーブ」を考え出すなど、バレーボール一筋の素晴らしい選手でした。
その他にも、ミュンヘンの奇跡を生み出した時のメンバー嶋岡健治、中村祐造、南将之など有能な選手がそろっていました。
日本独特の技の開発
松平康隆監督の回転レシーブや時間差攻撃、猫田勝敏の天井サーブ以外にも、木村憲治選手らが開発し、1966年の世界選手権において使われたBクイックなどもあり、各人がさまざまな工夫を凝らす雰囲気があったことが分かります。
女子代表との比較
女子も男子と同様、1960年、1970年代のオリンピック金銀メダル常勝国を経て、1980年代から低迷期に入りました。
しかし、2003年に柳本晶一が監督に就任後、竹下佳江などベテランと、大山加奈や栗原恵などの若手選手が融合したチームを作り上げて、オリンピック出場とワールドグランプリ、世界選手権での躍進によってチームは一時期の低迷を脱しました。
2007年の第14回アジア選手権では木村沙織や荒木絵里香など若手の活躍によって24年ぶりに金メダルを獲得しました。
2009年度より「IDバレー」を掲げる眞鍋政義監督が就任以降中田久美監督に引き継がれ、復活の兆しを見せています。
監督がどのような新たな方針を打ち出すか、才能ある若手がどれだけ台頭してくるかにかかっています。
男子代表で、現在期待の若手としては、南部監督時代の2015年4月に次世代の日本代表のリーダー候補「NEXT(ネクスト)4」として指名された石川祐希、柳田将洋らがいます。
このうち特にアウトサイドヒッター石川祐希、柳田将洋が伸び、攻撃の中心となっています。さらに最近若手のオポジット、西田有志が出てきています。
イタリア戦での活躍に見られたように、うまく機能するとチームとして素晴らしい力を発揮します。
2017年に中垣内祐一監督体制がスタートしました。
ミドルからの攻撃本数を増やすことやバックアタックを積極的に使うなど新たな方針を打ち出していますが、まだ国際大会で結果が伴っていません。
昔と比べると、石川祐希や柳田将洋、リベロの古賀古賀太一郎のように世界のトップリーグで戦う日本人プロ選手の存在があり、Vリーグではミハウ・クビアクやドミトリー・ムセルスキーのような世界トップと言うべき選手がプレーしています。
これらの効果が出てほしいところです。
さらに、素人ながら、何か日本としての特異な技を生み出すことが必要ではないかと思えます。
現在ではもう難しいことなのでしょうか?
ワールドカップバレー男子のネットの反応まとめ
出典:ヤフコメ
今の実力では、具体的に何位になってほしいとか、結果は・・・だとのコメントはなく、何しろ期待したいということで終わっているようです。
まとめ
ワールドカップバレー男子日本代表の過去成績をまとめ、過去の最高成績を超えるポイントについて考えてみました、
中垣内監督は「このチームがほぼほぼ来年の東京五輪メンバー。東京五輪を想定した戦いになる」と宣言しており、石川祐希選手 は 「W杯で結果出したチームが、その翌年の五輪で結果出す確率が高いので、東京五輪を見据えても大事な大会になると思っています。」と覚悟を決めています。
幸先の良いスタートを切ったこの大会で、是非来年の東京オリンピックにつながる結果を出してもらいたいものです。
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