仁徳天皇陵が世界遺産へ登録されることがほぼ確実となりました。
登録までの長年の努力が実った結果だとは思いますが、登録されることへの
問題点も指摘されています。本当は誰の墓なのか?ということですが、
いったいどのような問題があるのでしょうか?
仁徳天皇陵世界遺産登録への問題点
仁徳天皇陵世界遺産登録への問題点は何でしょうか?。
観光客の増加による影響
今回の世界遺産への登録で、観光客の増加が予想され、保存管理面でもいっそうの努力が求められます。
誰のお墓であるか疑問が残っている
今回、世界遺産の推薦書では、政府は教科書でも使われる「大山古墳」ではなく「仁徳天皇陵」と記載しました。
築造と仁徳天皇の時代が合致しないことの説が有力で、「被葬者が誰か分からず、学術的に正しくない名称だ」と指摘する古代史の専門家は少なくありません。
古墳内部の発掘はできない
古墳内部は事実上「聖域」扱いされてきたが、そうした対応では国際社会も国民も歴史的な価値を十分共有することができません。人類全体の遺産とするには、史実に基づく判断が不可欠です。
私はこれを見ながら育ちました。堺生まれ。嬉しいけどどうして?という気持ちもあります。本当に仁徳天皇陵かどうか問題があるので、若干、不思議です。
あとココ入ること出来ないんですよ。森ですよ。どう対応するんだろう??? https://t.co/AE5IcMa1k7
— リカ (@rika69052) May 13, 2019
本当は誰の墓?いつから調査が始まった?
では、仁徳天皇陵では全く調査はされてないのでしょうか?
イコモスの勧告は古墳群を「傑出した古墳時代の埋葬の伝統と社会政治的構造を証明している」と評価。「顕著な普遍的価値」を認めた。資産の価値に関する疑問点などの指摘はなかったという。
「「仁徳天皇陵」含む古墳群、世界遺産に 諮問機関が勧告」 『日本経済新聞』 https://t.co/CFnE7kiPWZ— 木戸健太郎 (@kidokentaro) May 15, 2019
仁徳天皇陵では、昨年、宮内庁が初めて堺市と共同で周濠の一部を発掘調査しました。
しかし、これは墳丘を囲む堀の護岸工事の資料収集が狙いです。
肝心の調査は行われていません。
宮内庁によると江戸時代の元緑年間(1688~1704)に、朝廷が「仁徳天皇陵」と指定したとされています。しかし、本当に仁徳天皇の墓なのかをめぐっては、考古学者の間でも意見が別れています。年代的には允恭(いんぎょう)天皇、もしくは安康天皇の墓ではないかと指摘する声もあります。そもそも仁徳天皇が実在しなかったという説まであるほどです。
この結果、学校の歴史教科書には以前は「仁徳天皇陵」の呼称が使われていましたが、現在は誰の墓かは明示せず「大山古墳」と記載するケースが増えています。
仁徳天皇陵とは今は教科書でも教えてないなら、やっぱり内部調査は考古学上必要だよね。
— シュン (@Shuntnuhs) May 14, 2019
しかし、宮内庁は江戸時代の見解を支持しており、墓碑銘などの100%確実な仁徳天皇陵ではないという証拠が出てこない限り指定を変える予定はないそうです。宮内庁としては、今のところ墳丘内を発掘調査する予定はないそうです。
本当は誰の墓?ネットの反応
まとめ
仁徳天皇陵の世界遺産への登録は、問題点もあります。1番大きい問題点は誰の墓であるかということですね。やはり、教科書で仁徳天皇陵としていない以上、大山古墳という認識が広がっていくと思います。世界遺産である「仁徳天皇陵」が日本人に認識されていなくなっていくことは、世界遺産としては問題があるように思われますね。